what we see when we read

IMG_0509

本を読むときにボクたちが見ているもの

図解による現象学

一般的に情報とは人と人の間にあるもので、モノと人をつなぐものでもある。例えば本があってボクがいた際に、本からがボクへ、そしてボクからここで情報を受け取る誰かへ何か情報を伝えるときには、シャノンの通信モデルを参考にしてこう示すことができる

情報源(ボク) → 送信機(パソコン) → 通信路 → 受信機(スマホ or パソコン) → 受信者(誰か)

本からボクへ情報が流れる際(赤い矢印)、いったい何が起きているかを著者ピーターメルデルサンドが多角的に思考し読者を困惑させ、思考させ、魅了する本です。これまで読んできた本とはまた違って、何度も何度も読み返してしまう小悪魔的要素がふんだんに入ってたナ。。。

例えば、

”私たちは読みながらにして単語を”

”ひとつひとつ”

”とらえている”

”わけでは”

”ない”

「えええええええええぇぇぇぇぇ!」

「そぉーなのぉぉぉぉぉ」

ってなったんですが。よくよく考えれば当たり前のことで、例えばモナ・リザの絵を文字で説明してそれを別の人が絵にかき起こしたら一体どうなるだろう?

おそらく

「えっと、チミは~?」

って99%なると思う。

もっと身近な例で言うと、美容室にいってこんな感じにしてくださいと言葉だけで伝えた際、本当に自分のイメージどおりになるだろうか?ボクは、ないですね。。というかボクの伝え方が悪いのかもしれませんが、、、かといって美容師さんの受け取り方もボクの伝え方も悪いわけでもなく、お互いが共通認識できる写真ないし画像があったほうがいい。

もしなかったら

髪を切り終えて鏡を見たときに、おそらくこう思うのではないでしょうか?

「えっと、チミは~?」

天丼です。ハイ。

まぁでも、共通認識ができる写真があってその通り切ってもらったとしても

その髪型が似合うかどうかはまた別だけど。。。

話を戻して、この本が伝えたいことは何だろうか?って考えてみた結果

簡単にいうと

文字が読める ≠ 理解する

だということで、日本語、英語、プログラミング言語…etc を読めるから、書くことができるからと言って、わかった気になんじゃねえよって言われているような気がしたってことです。

あとは、印刷技術の普及で世界中に文字だったり文字における言語情報があふれている現代においては、視覚にストレートに働きかけるヴィジュアル的要素を含む伝え方がやはりいいんじゃないかってことですね。親父が昔ワックスをつけているボクに、「人間やか皮はいだら同じなんやけ見た目とかどーでもええんじゃい!」って言ってましたが、現代はその真逆に位置するビジュアルに価値観をみいだす時代ってことですネ。親父ゴメス。

このピーターメルデルサンドは、ニューヨーク在住のカリスマ装丁家(ブックデザイナー)なんですが、読書における想像力の謎に対し「文学 × デザイン × 現象学」で迫った本って帯に書いていたんだけど、そもそも現象学って何?ってなったのでそれはまた別記事で書いていこうと思います。

彼のブックデザインは、このサイトで見れますよ~。

ピーターメルデルサンドWebサイト

とにかく、「一生ものの本に出会えた」

そう感じさせてくれる良書でした。

コメントは受け付けていません。

WordPress.com でサイトを作成

ページ先頭へ ↑