恐怖=チャンス

前記事でそこに漂う”クウキ”について触れたんだけど

それは人と人との間にあるモノで

今回は恐怖心について

 

何にも怖くないって状態は理想ではあるけれど、なかなかそんなスーパーサイヤ人状態にはなれないと思うから、どうすればそれを克服できるのかそして目を背けることなく向き合うことができるのかを考えてみた。

というボクは、割とビビりな性格でして。ハイ。

声とか必要以上に荒げる人とか基本的に無理なんだな。。

だって、普通の音量で話せばいいのに

「ワァーー!!oiaihvgavaorjvpo097yfhqjeklfq3…」

みたいに理性飛んじゃってるのを見ると

 

怖いってか引いちゃう。。

 

 

ボクも人間だから反応的に怒りとかってもちろん出るけど

その怒りに任せて「ガァオーー!」って言って

殴られたりするのが怖いし、メンドクサイ。。

 

 

後は、顔が鬼みたいな人。

 

いるじゃんたまに。鬼みたいな人。

もうね、、ホント鬼みたいな人、いるじゃん?笑

顔怖えわ。って引いちゃう。

 

 

 

話を戻すと、結局結果を得るためだったり現状打破するには行動が必須なんだけど

行動になかなか移せないのは ”恐怖心” があるからだと思ってるし

心理学とかでもそう言われてて

 

 

ボク自身に当てはめて今一度分析しようって思ったのさ。

だってもっと動き回りたいし、やろうと思ってるのはいいけど結局何もしなくて後から「あ~あ。。」ってなるのが嫌だからね。

 

 

 

”恐怖心” には内的なものと外的な ”ような” ものの2つがあると思う。

それぞれの原因と対処法をボクなりに考えてみますた。

 

 

-内的なもの

 

これは過去の経験・体験によるものだと思ってて、チビの頃なんかは何でもできるって思いこんでるからいろいろとチョロチョロするし、思ったらすぐ行動するわけで

でもその分ミスることも多いよね。ミスるとたいてい叱られる。叱られるのはまあシカトすれば何ともないんだけど、メンドクサイのは自己嫌悪。

 

自分で「やっちゃったな。」とか「ダメだな。」とか

マイナス方向に必要以上に思い込んでしまうことで、自分の脳内プログラムが否定的になり

オトナになってチャレンジしない保守的な日々を送ってしまうんだと思う。

 

保守的なオトナを否定しているのではなくて、保守的な自分Aを俯瞰で見ている自分Bがいて

Bの自分が良く思っていないのであればそれはどうにか改善したいよねってこと。

 

 

そんな人は優しくて感受性のある魅力的な人だと思う。

ボクの視点ではあるけれど、何かのスキルとか能力とかそりゃ高いほうがいいし

社会ではそういったものが評価対象になりやすい。

でもそういった数値化できないものを持ってるからこそいいんだと思うよ。

 

 

ということは、能力とかスキルとかって数値化しやすいからこそ評価がしやすくて

相対的に比べることができるから社会的な判断材料になってるってだけってこと。

 

 

じゃあそういった ”優しい”人はスキルとか能力がないわけじゃなくて

アプローチを変えれば全然戦えると思うんだよね。

優しい=ソフト

ソフト=やわらかい

やわらかい=柔軟

だと思うから

 

 

柔軟性を武器にすればいいと思う。

柔軟性があるってことはつまり伸縮の幅が広いから

視野が広くて変化に対応しやすいってことでもあると思う。

そう考えると今の変化の時代は味方になりうるよね。

 

 

そうやって思考も柔軟にすれば自己嫌悪なんてたぶんなくなるよ。と。

 

 

 

-外的な “ような” もの

 

次に外的なようなものについてだけど

これは最初に書いたような誰々の顔とか声が怖ええってことも含まれるけれど

結局行動できない人の言い訳は

「親が」「先生が」「お金が」「仕事が」のような

人、お金、仕事がほとんどだと思ってて

 

 

それは自分の外の世界ではあるかもしれないけど

「~が許してくれないから」

「~がないから」

って言っているのは紛れもなくあなた自身だよね?

 

 

いやいやそういわざるを得ないから?

もちろん実際に親なら親に「ダメだ」って言われたかもしれない。

 

 

でもそれをちゃんと言語化したのは、

そしてその言葉を受け入れたのは誰だろうか?

 

 

これが外的の ”ような”という表現にした理由で

結局は自分に回帰してるんだよ

ただ、それも自分の ”せい”ではなくて

そう解釈して自分に投げかけた脳のせいって言ったほうがいいのかな。。

 

 

自分以外の人や仕組みを変えることはとっても難しいし

かなりの時間と気力と行動と勇気と…

まあそれは大変なんだよ

できる前に死んじゃうカモね….

 

 

だったら自分の考え方や見る角度を変えてみたほうが早いし

そっちのほうがはるかに簡単なんだな。

 

 

 

 

最後にこの2つの要因を複合して恐怖心についての結論をだすと

その正体は自分がつくっているもので

恐怖心が生まれるような言葉を自分に投げかけているからってこと。

 

 

 

 

追記

 

 

恐怖もクウキと同じようなものでそこにあるだけで

戦うものじゃない

でもやっぱり人ってものは恐怖を感じる生き物だと思う

 

 

ボクが少ない過去を振り返った時に

自分が成長できたときは恐怖に飛び込めた時だったし

恐怖そのものがきっかけだった

 

 

だから恐怖を感じたらチャンスで

その先の見えないとこにお宝はあるよって感じかな

 

恐怖を感じたらそれがどこにあるのかを文字に書き起こして残しておくといい

その共通項だったり抽象度を上げたものがいわゆるカルマなんじゃないかな?

 

 

んじゃ、ねま。

 

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