クウキをつくる

まずはじめに空間があって

次に情報があって

またその中に人がいて

 

人が情報をつくり情報が空間をつくる

そしてその空間が人に還元される

そういうサイクル

 

 

 

 

その空間を環境というけれど

日本的にいうと “クウキ” だと思う

この日本独特の概念は

あまり海外の人にはわからないらしい

 

 

居心地の良い “クウキ”

“クウキ” を読む

あの “クウキ” では言えなかった

etc…

 

 

 

僕らは、そこに漂う曖昧な何かを

“クウキ” と呼び

それをしばしば感じていて

 

 

この”クウキ” の持つ力は

とてつもなく大きく

これによって

何かの議論の結論が左右されたり

行動の選択が決まったり

 

 

クウキを読むとは

そこに漂う非言語情報にあった行動を

選ぶ行為であるし、またそれは

一種の呪縛にもなり得る

 

 

つまり意思や信念の力は

この “クウキ”という見えない力に

負けてしまうということで

 

なぜならば

それは戦う相手を間違えているからだ

 

僕らが吸って生きている空気のように

このクウキもただそこにあるだけで

戦う相手ではない

 

 

ただ、これは味方になることがあって

動きやすいクウキ

楽しいクウキ

学びに寛大なクウキ

 

こういった良いクウキは

そこにパッとでてくるのではなく

つくらなければいけない

 

 

 

良いクウキは

僕たち人間が情報を使って

つくることができるということ

 

 

だからコトバが大切なんだ

 

 

 

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